エインズワース(Ainsworth,M.D)の生い立ちと理論背景【公認心理師試験対策】

エインズワースの生い立ちと理論背景

エインズワース(Mary Dinsmore Salter Ainsworth)は、1913年にアメリカのオハイオ州に生まれ、5歳のときにトロントに移住している。

エインズワースの両親は製造会社で働いており、父親との仲は良かったが、エインズワースが4人姉妹の長女であったこと、両親ともディキンソン大学の出身であり、教育に関心が強かったことから母親との十分な関わりが持てなかった。

エインズワースは15歳の頃、ウィリアム・マクドゥーガル(William McDougall)の『Character and the Conduct of Life』という書籍を読み、広義に心理学に関心を寄せるようになった。

エインズワースは、1929年にトロント大学に進学し、心理学を学ぶ。その後、トロント大学で博士号まで取得して、そのままトロント大学で数年間、教鞭をとる。1942年には、カナダ女性陸軍にも所属している。

エインズワースは、1950年に大学院生のレオナルド・エインズワースと結婚し、レオナルドが博士論文を執筆する関係でロンドンに移り住んだ。エインズワースは、ジョン・ホスピンス大学で働いている。その後、ジョン・ボウルビィ(Bowlby,J.)が新聞記事で調査員を募集しているのを知り、愛着研究に関わることになる。

エインズワースは、ボウルビィが勤務するタビストッククリニックで、母子の相互作用の研究を行った。その後、ジョン・ホスピンス大学で愛着研究を続ける。1960年にレオナルドとは離婚している。

1963年頃から『ストレンジ・シチュエーション法』を検討し、子どもの愛着のタイプを、①安定型、②回避型、③葛藤型(抵抗/アンビバレント型)の3つに分類した。後にMain & Solomon(1990)によって、④無秩序型が追加された。

エインズワースの研究は、乳児を縦断的に10年以上を追ったものもあり、発達心理学研究の間でも注目を浴び続け、他の研究者に大きな影響を与えた。

その後は、1975年からバージニア大学の教授として、教鞭をとり、1984年に名誉教授となり引退している。1998年にアメリカ心理学会から金メダルが贈られて、その翌年、1999年に他界した。

エインズワースに対する批判

エインズワースは、ボウルビィと同様、母親と子どもの関係を研究したものであり、父親が子どもに与える影響について検討していない。また戦争や紛争における研究の背景、発展途上国のウガンダでの調査研究中心であったため、文化的背景や経済状況などの要因についても指摘された。