教育熱心な家庭における子どもの愛着モデル【過干渉が招く問題】

はじめに

愛着障害という言葉を知っているだろうか。

愛着障害とは、幼少期における愛着形成で虐待や過干渉など愛情を受けずに育ったり、過保護で歪んだ愛情を受けて育ったりしたことで生じる障害で、予測不能な行動や歪んだ愛情を求めるなど、多くの時間を愛情希求に費やし、日常生活に支障をきたします。

今回は、教育熱心な家庭における愛着モデルについて話をしようと思う。

教育熱心な家庭における愛着モデル

以下、フィクションです。

ある女の子は、小学1年生にして週4の習い事、習い事がない時は放課後児童クラブに通っていた。両親は共働きで、堅い仕事をしていた。そのため女の子は幼い頃から厳しく育てられ、小学校の先生が違和感を抱くほどに大人びていた。

ある日、授業で校内探索をした際、3人の教員の目を盗んで女の子が校外に出ていってしまった。幸い、すぐ近くの道端で花を摘んでいたところを発見された。

教員が叱り、行動の理由を尋ねていると、話を上手に変えて、自分の話をしたがった。真相は分からないものの、この旨を保護者に報告する流れになった。

教員は、危機管理の徹底を誓い謝罪した。保護者は学校側に追求をすることなく、その矛先は女の子に向いていた。翌日、女の子は酷く叱られたようで、いつもの笑顔は見られなかった。

その日を堺に、女の子は表情が硬くなり、まるで叱られている最中のように俯きながら無言で過ごした。心配した教員は、スクールカウンセラーに連絡し、プレイセラピーを実施する流れとなった。

セラピーの中で、女の子は家族の絵を描いた。しかし、家族は皆、無表情で、黒い服を着ていた。質問すると『顔はいつもおなじ。』『いつも仕事の服なの。』と答えた。

スクールカウンセラーは、女の子の言語能力の高さに驚きながらも、家族関係に何らかの要因があると感じていた。

フィクション事例を通して

この事例を通して、女の子の愛着形成を考察してみる。女の子は、家庭では厳しく育てられ、愛着の対象を失っていた。もはや甘えたいという欲求も見られないほどに、疲弊しており、家族を安心安全な心理的居場所とは感じていない。

学校では、注目を集めたいという行動を示しながらも、叱られることに対しては、上手く回避するスキルを持っている。叱られた経験の多さが想像できる。

小学校1年生では、考えられないほどの言語能力があり、事細かに状況を伝えられた。その一方で、家族に対しては見てきたものを話すのではなく、その場で考えながら話す様子が見てとれた。

これは、家族で過ごす時間が殆どないためであり、両親に対しては仕事服のイメージが強く残っていた。両親はいつも同じ表情をしていて、淡々と宿題をやらされたり、小言を言われてきたことがわかった。

女の子は、愛着形成として対象を見失い、誰に対しても愛着行動を示せずにいた。よく見る事例では、家庭で愛着行動が示せない子どもが学校教員を対象に、試し行動をとったり甘えたりする。

今回の事例においては、保護者の厳格さゆえに学校さえも保護者の管理下に位置するような感覚があり、女の子は甘える場所を見つけられずにいた。

学校から抜け出す行為は、試し行動でもありながら、それ以上に『この場から逃げ出したい』という思いが表出したものだったのかもしれない。

教育熱心は誰がために

保護者と話をしている中で感じることがある。『家では厳しく育てています。』や『将来は医師になって家業を継いでもらいます。』と話される保護者がいる。

これは、子どもの愛着障害を疑った際に行う家族面接での会話と思っていただきたい。

保護者は、さも自分が子どもを上手くコントロールしているかのように話をするのだが、臨床的にはこれが問題となっていることを知らせる必要がある。

僕は『それは子どもが希望しているのですか?』と聞く。大抵の保護者はここで『……そうです。』や『そういうわけではありませんが……』と言葉を濁そうとする。

他者であるカウンセラーに図星を突かれたことで戸惑うのは当然の反応です。保護者は毎日の大変さの中で、仕事と子育てが混同し、子どもに対しても部下を指導するかのように接してしまっている。

また、こうした保護者は、カウンセラーに対しても食ってかかってくることもある。貴方に何がわかるのかと。僕は『本当に辛いのは子どもです。僕は泣いている子を放ってはおけません。』と至極真っ当な話をして、軌道修正を図る。

保護者としては、自分の大変さをわかってほしいという思いもあります。この点をよく傾聴した上で、保護者の味方であり、子どもの味方でもあることを伝える必要がある。

こうした保護者の心を溶かすのは、骨が折れるのだが、保護者の心を溶かすことができれば、子どもの愛着に関する問題は一気に回復していく。

保護者が『子どもへの接し方が間違っていた。厳しい=子どものため、ではない。』ということに気づくことができれば、子どもへの愛情が湧き上がり、その関係性は修復されていく。

親と子どもは違う

子どもは生まれた瞬間に、自分の基本的人権を手に入れるわけで、いくら保護者であっても本人の意思を無視していいわけではない。

教育上必要な支援を講じる場合には、合理的な根拠に基づく支援を考えた上で実施する必要がある。とはいえ、殆どの保護者はここまで考えていないし、厳しい=子どものためというように、非合理的な考えのまま実施してしまう。

教育熱心というのは、子どもが将来で困らないために色々な経験をさせることが目的となる。しかしながら、そのために『子どもが【今】困っていないか』が抜け落ちてしまっているのである。

大人でも週5の勤務に加えて就業後に週4で習い事に通えば、身体を壊しかねないし、心もおかしくなっていく。ましてや、体力が少なく精神的にも未熟な子どもに週5の学校と週4の習い事をさせるのは、子どもを苦しませることになる。

保護者として『私は小学生のとき同じことをやってきた。』という意見もあるだろう。しかし、子どもが同じことを耐えられるかは全く別の話である。人間は一卵性双生児でも特性が異なる。同様に親と子でも特性は大きく異なる。

最後に

保護者の方へ。仕事で忙しく、子育てに注力できない事情もあると思います。とはいえ、保護者となった以上、子どもへの愛情を忘れず、子どもが【今】困っていないか、気づいてあげてください。

今からでも遅くありません。子どもとの関係性を見直して、ゆっくり過ごす日を作ってあげてください。たったそれだけで、子どもは貴方を親として尊敬するようになることでしょう。