教育や療育における家族療法の必要性を考える①【元教員の立場から】
はじめに
カウンセリングといっても、その対象は様々であり、家族療法は主に児童期や青年期を対象に行われてきた。日本だけでなく、教育を推進してきた国のほとんどが学校教育におけるカウンセリングの重要性を謳ってきた。
イギリスや韓国ではスクールカウンセラーが常駐化され、アメリカにおいても不登校やイジメの問題に対するキーパーソンとして、スクールカウンセラーに関する研究が積み上げられている。
日本でも同様の動きがあるわけであるが、専ら教育にかける財源不足が露呈しており、スクールカウンセラーの常駐化は実現していない。僕は元教員として学校現場の臨床を僅かであるが、それなりにみてきたつもりである。立場上、自身がカウンセリングを施したわけではないが、地方の学校臨床事情は心得ているつもりである。
地方の公立高校においては、スクールカウンセラーが都道府県から派遣されており、週に1回以下の頻度で心理相談が行われている。しかも、全校の生徒数600人を超える学校でさえ、スクールカウンセラーは1人だけである。
更に地方の小中学校には、各学校に派遣されるわけではなく、各市町村に数名が派遣されており、その数名がいくつかの学校を巡回するようになっている。小中学校には、少子化の問題に伴い、廃校寸前の学校もある。確かに財源不足を補う意味では、各校に1人を当てるのは勿体ないと言いようがないが、それでも子どもや保護者にとっては、スクールカウンセラーへのニーズがあり、配置されているという安心感を持つこともあるだろう。
スクールカウンセラーの業務として、児童生徒の心理相談を行うだけではないことも知っておくべきだろう。不登校や非行事件が発生した場合には、学校教員と連携して、書類の作成や心理ケアが行われる。
また、こうした問題以外にも発達障害やグレーゾーンと呼ばれる子たちは、どの学校にも存在する。ましてや各学級の6%にその可能性があるとの統計があり、児童生徒の人数が少ないからといって、スクールカウンセラーを配置しない理由にはなり難いと言える。
さて、ここまで日本のスクールカウンセラーにおける事情を少し話したわけだが、当面の自分は児童福祉施設の心理職であるため、カウンセリングスキルの向上を図るために、児童期と青年期におけるカウンセリングに有用である家族療法について学びを深めようと思う。
日本の学校臨床
日本の教育界で問題になっていることといえば、不登校児の増加、児童生徒の自殺者数の増加、家庭環境の複雑化(虐待や国際化)などが挙げられる。
こうした問題は、実数はどうあれ、これまでも確認されていた。例えば、大津市の中学生が自殺し、学校や教育委員会がイジメの事実を認めなかったという事件では、メディアによる報道が激化し、似た境遇にいる全国の児童生徒が群発性の自殺を起こした。グラフで見ると、一目瞭然で事件後の1年間に自殺者数が増加している。
また、関東大震災における原発事故により、移住と転校を余儀なくされた児童生徒は風評被害もあり、イジメの対象となる問題が発生した。ここでも不登校や精神疾患の問題に至っている。
近年でいえば、コロナウイルスの世界的大流行がある。実はこのブログにも相談のメールが寄せられていて、コロナによる緊急事態宣言で自粛をした児童生徒で、学校に行くことに対する不安が強いままで、不登校になってしまったという声がいくつも届いている。
家族療法(システムズアプローチ)の実践を考える
家族療法は、家族全体を1つのシステムと捉えて、その下位システムとして、夫婦サブシステム、親子サブシステム、同胞サブシステムなどを設定している。
また、このシステムの中で問題を抱えた当事者のことをIP(Identified Patient;患者とみなされる者)と表現する。
この家族療法の基礎はシステムズアプローチと呼ばれ、後の家族療法の流派においても影響を少なからず受けている。
家族療法が登場するまでのカウンセリングは、個人に対するカウンセリングが主とされてきたが、IPを取り巻く環境として、最も影響が強いと考えられる家族に着目して、その療法としての構成を練り上げてきた。
影響を受ける受けないの因果関係を巡っては、家族療法では線形的ではなく円環的理解を伴うとされる。つまり、因果関係は誰から誰、何が誰の行動に、という直線的なものだけではなく、それぞれの家族成員間で複雑に影響し合うと考えたわけである。
家族心理学において、問題解決を図る上では、家族成員がそれぞれ同じ方向を向き、その力加減も適切であることが望ましいとされる。
例えば、IPが不登校の児童だとしたとき、母親だけが不登校を解決しようと学校にかけ合ったりする場面をよく見るが、これは適切とは言えず、IP自身も不登校を解決しようとする意思があって、父親も不登校の解決を望み、心配するような方向性が重要なのである。
また、心理的側面を深く捉えていったとき、実は父親が世間体を気にして不登校を解決しようとしている場合、これは目的は同じでも心理的に同じ方向を向いているとは言い難い。
以上のように家族療法は、当事者に焦点を当てながら、IPを取り巻く家族というシステムを変えていくことで、状況を変えようとするアプローチであると言える。
こんな家庭を想像してほしい。父親は母親との口論をする。子どもはそれを見て嫌悪感を覚え、自傷するようになった。実はこの背景には、父親の祖父祖母の影響があり、それをよく思わない母親が論議を呈している。
統計があるわけではないが、こうした家庭は少なくないと感じる。子どもの教育や養育に携わるのは主に母親であることが多く、学業や学校での人間関係で疲れた子どもの心の拠り所であるはずの家庭で、夫婦喧嘩が多く繰り広げられるとなれば、精神衛生上よくないことは火を見るより明らかである。
教育における家族療法
カウンセリングの多くは、不登校や非行といった問題が発せしてから支援に繋がる。しかしながら、こうした問題を予防するためには、家族システムを知る必要がある。
僕が思うのは、懇談会や部活動の応援に来る保護者と話をする機会が重要だと思っている。普段、なかなか話す機会がないものの、1年間で積み重ねれば、相当の頻度になる。
一方で、この関わりが多い家族というのは、おおよそ心配するに値しないことが多い。どちらかというと、懇談会はいつも母親がきて、家族間で考えを共有していなかったり、部活動の応援にも来たことがないという家族には、一定数の問題を抱えそうな子どもがいる。
僕は、教員としての立場で、生徒の相談を受けることがよくあった。その相談は進路や大人になる上での漠然とした不安のようなものが多いが、たまに家庭環境について涙しながら話す子どももいる。
家族療法は、少なからず家族成員の一人がカウンセリングを受けてみようとか、教員に相談しようとかのアクションを起こす人がいないと始まらない。
例外として、問題が発生した場合、例えば、生徒指導の動きとして保護者を呼び出して、支援に繋がることもある。また、自傷や他害といった問題では刑事罰が問われることもあり、事の重大性から警察や家庭裁判所に手で支援に繋がることもある。
療育における家族療法
療育というのは、発達障害がある子どもが発達支援センターや放課後等デイサービスで受ける療育だと思ってほしい。
療育の場合、発達障害という主訴が明確にあり、既に支援が開始されている。その上で、母親と父親、もしくは夫婦と祖父母が協力して、子どもを療育している構成をよく見る。とはいえ、家族システムの構成員が少ない場合もある。例えば、シングルの家庭、祖父母が遠くに住んでいる家庭、共働きで精神的余裕がない家庭など様々である。
こうした大変さがあるものの、各事業所や国からの支援があって、保護者を支援している。正直にいって、これで支援が十分かと言われると、そうは言えない。
事業所を選ぶ上でも、やはり子どもに対する理解があって、凄く親身にしてくれる事業所は人気があるだろうし、学校の特別支援学級や当事者家族、計画相談員から情報を得て、必死になって子どもの居場所を探している家庭もある。
つまり、支援を受ける意欲が高い家庭であると言える。こうした家族に対して、家族療法がどのように有効なのか。それは、負担の軽減とシステムの再構築にある。
少し話が逸れるが、介護の領域で、レスパイトケアやレスパイト入院といった概念がある。レスパイトというのは余暇という意味で、介護疲れを危惧して、適切な支援を受けながら、介護する側の家族にも心のゆとりを作ろうという考えが基盤にある。
療育についても、これと同様のことが言える。例えば、知的能力障害や自閉症スペクトラムがある子どもは、夜中に起き出して行動することもある。朝から仕事を控えた保護者にとっては、厳しい境遇と言える。
ここで、放課後等デイサービスなどに子どもも通わせ、遊んだり勉強したりして、疲れて帰ってきて、熟睡する。しかも送迎があると負担も減る。支援(補助)金も出るので、経済的には低負担で、レスパイト支援を受けることができる。
家族療法では、こうした家族の精神的負担を和らげる意味で、いわば現状と将来をすり合わせるようなことができると期待する。例えば、18歳までは事業所での支援が受けられるとして、その後の生活に対しては不安が残るだろう。
しかしながら、家族療法によって一種の進路ガイダンスや今後の療育方針の検討などを家族成員と一致させることで、家族の負担が緩和できる。
また、こうした家族システムは、兄弟の就学や祖父母との死別などにより、変化する場面が必ずある。その際に、システムを再構築することで、新たな療育方針が見えてくることがある。
例えば、これまで両親が働いている間に世話をしてくれていた祖父母が高齢者施設に入ることになったとする。この場合、外部の生活支援サービスを受けることを提案するが、情報を持たないままに急なシステム変更があったときに対応できない。
こうした予想できる場面においては、定期的なカウンセリング(生活相談)が必須である。
最後に
長々と綴ってしまったが、要するに教育や療育にも家族療法を積極的に取り入れてはどうかと思っている。僕自身、家族療法を勉強して、子どもと保護者、そして公認心理師という三者間の将来性を常に考えておきたい。
次回から、論文を読みながら、家族療法についてまとめていければと思う。その都度、僕の現在のフィールドである療育の現場で取り入れられる部分を考察していく。