来談者中心療法によるカウンセリング
来談者中心療法とは、アメリカの臨床心理学者のカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers;1902-1987)が提唱した心理療法です。非指示的療法→来談者中心療法→人間中心療法というように時代により名称が変わってきています。
Rogers,C. は個人のパーソナリティを、【自己概念と経験の不一致】と【不適応】との関連を示唆し、その後は、【理想自己と現実自己の不一致】と【不適応】との関連を示唆します。
自己概念
来談者中心療法は、【自己】について、重きを置きました。
【自己概念】というのは、自己に対するイメージのような意味で、クライエントが自分自身のことをどのように捉えているかによって、カウンセリングの方向性が大きく変わります。
〖例1〗A君は、自分のことをかわいいと思っている。しかし、周囲の人からはイケメンと言われ、メンズモデルにもスカウトされることがあったが、嬉しくない。逆に悲しい気持ちになった。
この例にあるように、A君は「可愛い自分像」を持っている(自己概念)のだが、男性は男らしくという社会的なイメージや自分がみてきた男性の在り方(経験)により、男性が可愛くありたいということに対して不安や葛藤を抱いていると推察できる。
〖例2〗Bさんは、難関大学への進学に実績のある高校に在籍している。学力は学年トップ10で、周囲からは羨ましがられている。しかし、本人は1位になりたいという思いが強く、必死に勉強するのだが、どうしても勝てない生徒がいる。90点以下の点数を取ってしまうと、自分はポンコツだと、自分を卑下し、泣きながら自傷行為を繰り返してしまう。
Bさんは、1位じゃないとダメ(理想自己)という高い目標を持っているが、どう頑張っても勝てない生徒がいて、自分は1位になれない(現実自己)ため、自己否定感を抱き、苦しんでいる。この背景には、完璧を求める理由があると考えられる。
それは、志望校への合格と言えば、綺麗な話なのかもしれないが、親に進路を決めつけられ育ってきたかもしれないし、誰かに認められたいという信念が強いのかもしれない。
学歴社会と呼ばれる現代での生き方としては、完璧主義は評価されることであるかもしれないが、こうした心理的な負荷を抱える人たちは、自分の信念にとらわれていて身動きができない状態にあることが多いです。
つまり、来談者中心療法では、本人が捉えている自己概念と想いの強さが大切にされています。周囲の人からみれば、些細な悩みかもしれないことも、本人からすれば大きな悩みといえます。
セラピストの基本態度
Rogers,C. は必ずしも技法を熟達しなくてもよいと言っています。
これが誤った解釈を生み、来談者中心療法は、技法を否定し、未熟な者でも再現可能な療法と揶揄されてしまいました。
当時は、行動療法が流行り、技法化が進んでいた時代でした。しかし、文献にある彼の生き方やカウンセリングへの考え方から、言葉の意味を考えると、技法に拘るあまりクライエントの自己概念や話を聴くという本来セラピストが熟達するべき部分が軽視されていると感じたのでしょう。
信頼関係を大切にしていた彼には寂しいことだったのです。また、信頼関係を築くこと、それ自体が心的な負担を軽減させるというカウンセリングの基本に立ち返ってほしいという想いもあったのではないかと考えられます。
① 無条件の肯定的関心
どんな考えや行動を示すクライエントに対しても、まず肯定的に捉えてみて、信頼関係を築くことからカウンセリングは始まります。
もし、最初にクライエントが不適応的な考えや行動を示していたとしても、カウンセリングの進行とともに、それが減退すればいいのです。(ただし、不適応な行動を肯定し、強化してはいけません。あくまでクライエントの悲しみや苦しみを肯定的に捉えようとする態度が大切ということです。)
② 共感的理解
共感とは、必ずしもクライエントの感情を知っていなくてもいいのです。
「貴方には、私の気持ちはわからない」とドラマのセリフなどでよく見ますが、わかることもカウンセリングのヒントになりますが、最も大切なのは、共感的に理解しようという態度です。
これがクライエントに伝われば、信頼関係は強くなり、より深い悩みを打ち明けてくれるようになりますし、一緒に悩みに立ち向かっていく同盟関係を築くことができます。
③ 自己一致(純粋性)
簡単に言うと、自分に嘘をつかないことです。セラピストが悩みながらカウンセリングを進めていくことは、よくあることです。しかし、その不安を黙ったままにして、クライエントに不安が伝わると、信頼関係が崩れるきっかけにもなってしまいます。
そういうときは、「〇〇という点で、考えが及ばないのですが、教えていただけますか」などクライエントに伝えて、一緒に考えるという姿勢をとると、クライエントも安心感を示してくれます。
ゴールは自己受容
来談者中心療法のゴールは自己受容です。自己受容とは、「自分のことをこんな人間であると自信を持って言える肯定的態度」のことで、妥協や諦めとは、少し異なります。
たとえ、現実自己と理想自己の不一致があったとしても、その不一致を受け入れ、理想自己を叶えたい目標として肯定的に受け入れていれば、それは適応的な状態と言えます。
つまり、不適切に至る人は、現実自己と理想自己の不一致を否定的に捉えていて、その理想にとらわれ、身動きがとれなくなっているような状態にあると言えるのです。
その意味で、自己受容をするためには、自分を見つめることができなくてはなりません。
例えば、理想自己に対して、「なりたくない」「なれるはずがない」と目を背けている場合は、自己受容ができる状態にありません。
この場合は、「今なら向き合える」という状態で、どうすれば理想自己に近づけるのか、逆に理想自己は自分には適していなかったのではなかろうか、と将来の糧となるような考え方になっていきます。
しかしながら、無理はしなくてもいいと思います。まずは自分と向き合える状態になるために、カウンセリングを受けたり、友達や家族に愚痴を言って、心に余裕がある状態をつくることが優先されるといいと思います。
来談中心療法と認知行動療法
来談者中心療法と認知行動療法は、大きな違いがあります。その点によってクライエントが混乱する場合があります。
来談者中心療法は、非指示的カウンセリングとも言われています。自己受容がゴールということもあり、クライエントの心の成長を促すために、あえて指示をせず、クライエントが自らを知り、自己実現に向かっていく過程を傾聴や語り返しによって支援していきます。
一方、認知行動療法は、カウンセラーの指示により、病症そのものの改善に注力する場合が多いです。したがって、認知行動療法による病症の改善は早く、考え方を修正したりする過程で、クライエントが自分で心を落ち着かせることができるようになっていきます。
このように来談者中心療法と認知行動療法は、それぞれが効果にエビデンスがあり、病症や状況、クライエントの特性などに応じて、使い分けることが大切であるとされています。
しかしながら、非指示的と指示的の違いによって、クライエントは「いつもと違う」「他のカウンセラーと違う」「アドバイスがほしいのに」というように、カウンセリングに対して混乱が起こることがあります。
もし、カウンセリングに対して、このような混乱が起こった場合は、「カウンセラーさんの支援方針をお聞きしてもよろしいですか?」と聞いてみてください。カウンセラーは、折衷派といって学派に関せず、色々な療法を使い分けるカウンセラーがいたり、学派で修行を積み、その療法を得意として、カウンセリングにあたるカウンセラーがいます。まずは、そのカウンセラーの学派や得意な療法、立場などを知ることで、ご自分に適しているのかを考える参考になります。
最後に
来談者中心療法について、説明してきました。当、カウンセリングルームでは、この来談者中心療法の考え方を軸に、様々な相談者に適した方法を選び、カウンセリングを進めてまいります。
認知行動療法による短期療法や考え方の癖の修正なども行っていきます。その際は、十分に支援方針をクライエントさまと一緒にご検討していきます。