公認心理師の倫理とは何か【倫理の考え方と多重関係】
公認心理師の倫理とは何か
公認心理師には倫理規範がある。例えば、公認心理師法には秘密保持義務や信用失墜行為の禁止が定められている。これは公認心理師という国家資格の社会的信用を保持するために必要な倫理規範と言える。
公認心理師が必要がないにもかかわらず秘密を漏らしたりSNS等でカウンセリングの概要を投稿したりする行為は、『公認心理師って国家資格って聞いたけど、平気でこういうことするんだな』と一般の方に思わせるには十分な脅威となる。
公認心理師はチームでクライエントを支援することを重視しているが、これは公認心理師資格を持つ人は1つのチームで、かつ他業種の専門性と連携をとって問題に立ち向かうという2つの意味を持つ。
なぜ倫理が必要か
研究をしてみると理解しやすい。心理学の過去の研究では、人間や動物に電気を流すなどの刺激や悪くなると予測した上での検討が行われてきた。
当時の研究は、戦争で使える心理学や人の心を操ろうとする実験的研究が主だった。しかしながら、心理学は人を救うため、人の健康を保持増進するために用いられるように変化していった。
現在、スタンフォード監獄実験のようなことをしようとしても人に害を及ぼす可能性があるとして、倫理審査を通過しないだろうし、論文を掲載する学会もないだろう。
もっと単純に質的研究で半構造化面接を行うとしても、協力者に不利益が被らないように細かい部分まで予測を立てた上で実施するのが基本となっている。質問紙調査でも同様である。配り方やフェイスシートへの記載方法、質問項目に協力者の不利益になるものがないか検討する。
学部レベルお研究では、ここまで考慮することは少ないようだが、修士論文や紀要、学会誌掲載の研究論文においては倫理審査がある。審査官が研究の妥当性や信頼性を確認し、調査の方法について質問するなど、研究を進めていけるかの承認を得る機会である。
話を戻すが、公認心理師の倫理はクライエントのためにある。また公認心理師自身のためでもある。多くの心理学者が検討した上で設定された倫理規範は、クライエントの不利益に繋がる可能性が高いと言える。
個人が経営をするカウンセリングルームでは、会社の代表者が概ねの方針を決定しているだろうが、倫理審査のようなものはない。はたして行おうとしているカウンセリングが妥当性を確保しているのか、クライエントに不利益を被らないのか、この点を考慮する必要がある。
Twitterで話題になった『催眠』や『多重関係の軽視』はまさしく妥当性とクライエントの不利益を考慮したのか?の質問によって検討されるべき問題であったと思う。
例えば、催眠を得意としている治療者がいたとする。それでもクライエントの主訴が不安障害だったとしたら、これの有効性が示されている療法で治療するのが正である。自分が得意だからといって妥当性を無視して治療を施すことはプロとしての判断力が不足していると言える。
多重関係の軽視
次は多重関係である。『公認心理師である教師と生徒』の関係である場合は、評価する側とされる側でもあるため、言いたいことが言えない状況に至ると容易に想像でき、教師の立場からの教育的な関わりに支障がでることもあるだろう。
『公認心理師と友達』や『公認心理師と友達の配偶者』という関係だったとしても、言いたいことが言えない、日常的な関わりに影響が出ることが推測できる。
『公認心理師とクライエントの恋愛』においては上記とは少し異なり、恋愛性転移や依存に繋がる可能性があり、より危険な関係となり得る。成就すれば問題ないとする考え方もあるが、成就するしないにかかわらず、相当なリスクがあることを知る必要がある。
例えば、恋愛関係が破綻して、愛情が憎悪に変わる。途端に『公認心理師に手を出された』として、訴訟問題となれば、全ての信頼を失いかねない。他のクライエントや公認心理師としての仲間、友達や家族の信用まで失うかもしれない。当然、所属している会社等の信用失墜行為でもあるため公認心理師としての職を続けられなくなる。
これまでのリスクを負って恋愛に向かうというのは壁を乗り越えると考えれば、美化できるかもしれないが、そもそもリスク管理に問題があり、これを軽視する人と上手くいくのかという別の問題もある。
倫理規範は意識の問題
倫理規範を守るかどうか。個人的にはこう思う。公認心理師はクライエントに容易に触れることは避けるべきである。しかしながら、たまたまクライエントが橋から飛び降りようとする瞬間を見た場合、僕は全力で羽交い締めにして引き止めると思う。
これは、まさに生命の危機を目にしたからである。この状況にあって『倫理規範を破って身体に触れた!』と怒る人はいないだろう。一方で、多重関係(恋愛交際)によってクライエントの心を癒そうとする行為は『別の方法があるだろう。心理療法で癒やせないのであれば、そもそも力不足を露呈している。』などと批判を浴びるだろう。
これも妥当性。目的を達成するために、その方法が妥当なのか。これに尽きる。クライエントの心の健康を保持増進するのが公認心理師の役割であるとするならば、多重関係は必要がない。むしろ、リスクを考慮するのであれば、多重関係は避けたほうがよい。
多重関係といっても『教師と生徒』であるならば、十分なインフォームド・コンセントを行い、これの同意を得た上であれば、例外的に心理相談に応じることもある。とはいえ、一時的に相談を受けて、多重関係のリスクによってクライエントの為にならないと判断できたのであれば、別の相談機関に繋ぐこともできる。
状況に応じて妥当なのかを常に考える。思考が浅い場合、誤った判断をすることもある。これを避けるために公認心理師法は、リスクが高い倫理規範を掲げているのである。
公認心理師と経営者の問題
公認心理師としてNPOや会社を立ち上げたり個人開業をしてカウンセリングをしている方も多いが、この場合は倫理規範に加えて経営上のルールもある。
例えば、個人情報の扱い方やデータの保管などである。たかがUSB1個でも紛失してしまって個人情報が流出してしまったら社会的信用を失い、下手をすれば経営が傾く。
これと同様に所属の公認心理師がクライエントと肉体関係に至ったとすると、どんな問題が発生するのかを考えてみてほしい。『成就すればいい』とはならないはずだ。
しかしながら、経営者が多重関係を軽視している場合もある。知識のない児童福祉施設の経営者が公認心理師に対して、保護者対応と心理業務を担当させたとする。保護者に社用スマホの連絡先が知られており、どの時間帯でも連絡がくるようになった。
アセスメントに訪れた保護者は『また連絡しますね』と気軽なかんじで連絡を使う。こうなると心理業務に大切な時間枠や料金枠などの枠組みが外れてしまい、大きな不利益を被る可能性が高くなる。
保護者が公認心理師を気に入り、アプローチしてくる場合もある。これをどう扱うのか、経営者の手腕にかかってくる。
公認心理師としても、社用スマホの扱い方に注意し、自分を守る術は持っておいたほうがいい。経営者に対して、多重関係とは何かを伝え、何かあったときに守ってもらえる体制を整えておく。また、何時以降は対応しないとするなど時間枠は持っておいたほうがいい。
これを常に伝えていかないと、保護者が相談に来たときに何時間も話をされることになる。『今日は1時間。後に別の仕事があるので』など始めるときに時間枠を設けるのがよい。
最後に
公認心理師は、人を救う。導く。支援する。こうした優しい思いを持った人が多いと想像する。一方で、人の為になるなら手段を選ばない!というような強引さは捨ててほしい。
常に妥当なのかを熟考し、クライエント中心の心理支援を展開してほしい。自分もクライエントも幸せに導くことが心理学の本質であるように思う。そして、最終的には、倫理規範やルールの中で我々は動く。
『結果が良ければ全て良し』ではない。あらゆる信頼、あらゆる関係を丁寧に繋いでいくことも公認心理師の役割なのである。