完璧主義なのにできない【臨床心理学の視点から】

完璧主義という概念

完璧主義とは『努力の有無にかかわらず高い理想を掲げることを常とする信念を持つこと』と言える。一般的に【完璧主義】といえば、何でも上手くやってのける人物をイメージするだろう。一方で【臨床心理学が捉える完璧主義】は少し意味合いが異なる。

臨床心理学が捉える完璧主義

心理学では完璧主義を完全主義ともいう。どちらにせよ「完璧・完全でなければならない」という妥協を許さない強い思いがある。

注目するべきは『主義』の部分である。本当に「完璧」であるなら『主義』で終わらない完結した言葉が適当である。

これを『現実主義』や『楽観主義』などと同様に『完璧主義』というのは、あくまで『主義者=一貫した信念を持つ人』という意味合いを持つからである。

完璧主義が『努力の有無にかかわらず高い理想を掲げることを常とする信念を持つこと』であるのは、その信念を持ちながらも実行困難な状況もあり得るからである。

完璧主義による自己嫌悪

完璧主義で苦しむ人の多くは、自分の能力や状態に適さないレベルの理想を設定することで、自尊心が下がらざるを得ない状況を自ら作ってしまうことに起因する。

極端な例えで言えば、学校の定期テストは100点でなければならないという高校生がいたとする。成績にこだわるとしても、90点もあれば5段階評価の5が貰えるはずで、通常は納得できる範疇であると考えられる。

一方で、完璧主義の人は残りの10点で酷く心が揺れ動く。ケアレスミスをしたともなれば自分を責めることにもなるだろう。

こうした高い理想を追い求めるには相当のエネルギーを必要とする。一方で、理想を達成するための努力を行えない人もいる。これから実行するべき事項を予期するだけでネガティブな気持ちが湧き上がり、手が出せないのである。

こうした場合、実行できない自分を責めるなど理想に到達できないことに対して自己嫌悪感を抱くことになる。

来談者中心療法を提唱したカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)は自身のパーソナリティ理論の中で、精神的健康を害している人は『理想自己と現実自己の不一致がある』としている。

ロジャーズのいう理想自己は「こうありたいと思う自己像」のことである。つまり、理想自己と現実自己の不一致の程度が大きいほど精神的苦痛を抱くと考えたのである。

これを更に深く考えると、完璧主義の人は理想自己が高すぎて現実自己との不一致は常に大きい状態にあると言える。一方、この自己不一致理論には続きがあって、いわゆる臨床群の人は不一致にとらわれてしまい自己嫌悪感を抱くが、通常群の人も叶えたい目標を掲げて努力をする段階で自己嫌悪感を抱くとする考え方もある。

要するに完璧主義とそうでない人の違いは、完璧へのとらわれが強く、自身で統制できない状況にあることである。

アーロン・ベック(Aaron Temkin Beck)の認知療法では、うつ病の治療において自動思考を緩和させる。自動思考というのは生きていく中で生起する『考え方のクセ』や『認知の歪み』のようなことである。

この自動思考がいくつかある中で『0か100の思考/白黒思考』と呼ばれるものがある。これは、結果への執着が強いために成長途中に得られたものの評価やグレーの部分に対する評価が抜け落ちてしまっていることを示している。

当然、完璧主義が起因となりうつ病を発症することがある。認知療法で治療を施すのであれば、この自動思考を緩和させ、中間にいる自分を認めたり受容したりできるようになることを目指していく。

これはある意味、臨床群から通常群に戻す作業とも言える。中間にいる自分を認めたり受容したりして、その中で理想の掲げ方を見直し、時には妥協や諦めを容認し、適応的な目標に対して指向していくこと、これが人間的で健康的な考え方なのかもしれない。

完璧主義による周囲への影響

完璧主義の人は、完璧主義ゆえに凄く能力が高く、一般企業でいうところの管理職や部長のようなリーダー的な立ち位置に至ることも多い。ただ、完璧主義といっても自分にだけ厳しい人もいれば、他者にも完璧を強要する人もいる。

他者に完璧を強要する場合、他者に理解し難いレベルの思いをぶつけるために反感を買うこともある。人間関係に亀裂を生みやすく、仕事はできるけど関わりたくない人という扱いを受けてしまう。

また完璧主義の人が親となった場合、子に対しても厳しい躾をしてしまったり、幼い頃から習い事で締め付けてしまったりする。子育てを大きく捉えると、親の自由とも言えるが、児童期や青年期のケースにおいては親子関係、それも毒親(心理的虐待ともいえる言動がある親)に関するものが少なくない。

子が幼いときは親の期待に応えようと形振り構わず努力をするが、どのレベルに達しても褒められなかったり、逆に褒められながらも高いレベルを要求され続けたりして、心が追いつかなくなる。

中学生になる頃には周りとの違いに違和感を抱き、徐々に親への信頼が減少していく。高校生になる頃には、親から離れたいと思うようになるが、経済的自立ができないために離れられない。この中高生くらいの年齢のとき、自傷行為が発現したり親に対する強い攻撃性を示したりもする。

完璧主義は、自己愛が関わることもある。幼少期に親に認められたいと努力をした結果、褒められたい認められたいといった承認欲求が強まり、それを完璧主義という形で表出するケースがある。

この場合、自分の努力や言動を否定されることを過剰に嫌い、あたかも自分の考えが全て正しいかのように振る舞う。しかも、こうした人が仕事ができるということで評価され、権力を持つことがある。

他の意見を受け付けず、自分の考えのみを周囲に押し付けるような言動を繰り返し、自分の脅威となる人を退けていく。これがパワハラに繋がることもある。

社会が生んだ完璧主義

親の厳しい躾によって完璧主義が当然と思い込む人がいる。その一方で、自然発生的に完璧主義となってしまう人もいる。完璧主義といっても半数以上は自然発生的な完璧主義だと感じている。

自然発生的な完璧主義とは、いわば社会が生んだ完璧主義とも言える。例えば、日本の教育は競争によって優位な進学先が選べるような構造になっている。また社会人ともなれば、ミスのない義理堅い仕事がお金を生み、生きていく上で相応の責任も請け負っていくことになる。

こうした競争と強い責任が日本の社会の基礎となっており、普通の家庭で育って、思い当たるエピソードがないにもかかわらず完璧主義になっていたというケースがある。

良い大学で良い会社に就職することが目標となる人は多い。上手く趣味や遊びで息抜きできる人はいいが、責任感が強く、頭の中が仕事のことでいっぱいになり、休日も休めない人もいる。

完璧に事が運んでいるときはいいが、上司に指摘されたり仕事で失敗したり、そのときに急激に気分が落ちていく。次第に心が消耗していき、身動きがとれなくなる。

完璧主義を緩和するには

完璧主義による生きづらさを緩和するためには、自分が完璧主義かもしれないと自覚することが重要となる。一般的にカウンセリングは、自分から訪れない限り始まらない。例外的にうつ病等の精神疾患になり、カウンセリングを受けた結果、完璧主義を指摘され、完璧主義の緩和へと繋がるケースがある。

ここで自分が完璧主義であることを自覚し、治療が始まるのだが、前述したとおり完璧主義の人は自分の考えを否定されることを拒む。カウンセラーに完璧主義の緩和を目指しましょうと言われても、薬さえ飲めば大丈夫だとカウンセリングを受けようとしないこともある。

要するに、長い期間をかけて凝り固まった完璧主義は、そう簡単には溶け落ちないのである。自分を見つめる時間をしっかり作って、相応の時間をかけて少しずつ溶かしていくイメージである。

一方で、完璧主義を自覚していて、この辛い状況から早く脱したいと思っている人は、比較的短い時間で緩和に向かう。

私自身、来談者中心療法を得意としているが、完璧主義のカウンセリングにおいては認知療法を用いる。完璧主義の緩和を目的にカウンセリングを受ける人は、うつ病を罹患していたり人間関係で困っていたり相当の辛さを経験している。

傾聴によって吐き出せるものを吐き出しながら、自分と向き合う時間を作り、自動思考を半年か1年単位での緩和を目指す。

完璧主義の緩和が実感できた人は口を揃えて、『肩の荷が降りた』や『生きるのが楽になった』と話す。それほどに辛い人生を送ってきたのだろう。

完璧主義なのにできない

完璧主義といっても信念の話なので、できるできないは別の話だったりする。こうしなければならない、100点じゃなければならないと高い理想を抱きつつも、その理想には到達できない。信念だけが行き過ぎた普通の人だと言える。

完璧主義をやめるには、まず自覚する。そして、認知療法を試してみる。これにより完璧主義のことをよく知ることができ、自分を省みることができるようになる。

いきなりカウンセリングを受けるには、抵抗もあるだろう。そこで書籍を読むことから始めてみるのはどうだろうか。

この書籍は完璧主義にも応用できる認知療法の方法が記載されている。不安は理想の裏返しでもあることから、自己理解を深める意味で試してみる価値はある。


臨床心理学

Posted by Cozy