【ヒトコワ】隣の部屋から聞こえた声【怪談】

6年前。大学の卒業と同時に車の営業職として採用された自分は、地元に戻らず職場の近くに賃貸アパートを借りて住むことにした。

地元といっても、高速道路で2時間程度で帰ろうと思えばいつでも帰れる距離だった。それもあって大学卒業したばかりの自分を心配して、両親が引っ越しを手伝ってくれた。

アパートは2棟あり、それぞれ1階に4部屋、2階に4部屋の計16部屋あった。とはいえ、出勤するときや帰宅するときに別の部屋の人を見かけるくらいで、静かな暮らしができていた。

入社してから6年が経って、仕事も順調だった。ただ、もう28歳。最近できた恋人と結婚できればと期待している。ある日、その恋人が遊びにきた。

「少し寒いから鍋でもしよっか。」

夏が終わったと思ったら、次は寒いくらいの気温の変化。仕事の帰りに電話してスーパーで待ち合わせた。仲良く買い物して、もう何年も一緒にいるような安心感がある。早く結婚できればと思うばかり。

「あ、私の車どうしようかな。」

「そうだな。駅のパーキングに置いていこうか。」

アパートの駐車場は契約しないと使えない。中には空いているところを勝手に使う人もいるようだが、そこのところ規律心はある。駅のコインパーキングは田舎なので1日置いても高くない。程よい田舎で、車さえあれば住みやすい街だと思っている。

「私、野菜とか下ごしらえしちゃうね。」

「せっかくだし飲みながら作ろうよ。ビールもあるしカクテル系もあるよ。何がいい?」

食事の準備が楽しいと思えたのは初めてだった。少しの酔いもあって、ただただ幸せを噛み締めていた。

「ねえ?何か変な音しない?」

彼女がこっちと指差す方向、台所の奥の壁だった。

「ん?隣の人が何かやってるんじゃないかな。テレビの音かも。」

「何か一定のリズムで、歌?お経みたいな…怖いよ」

彼女と場所を入れ替わって、壁に耳を当ててみると確かに一定のリズムで男の人の声で何か言っているのが聞こえた。

「まあ、あっちも酔ってるのかもね。そういえばさ…」

彼女を怖がらせないように話を変えたりして、やり過ごした。その後はそれぞれで入浴して、一緒に映画を見ながらご飯を食べ、お酒を飲んだ。気持ちいい酔いと彼女の温もりを感じながら眠りについた。言っておくが、彼女が先に寝てしまったので、彼女を寝室のベッドに運び、自分はリビングのソファで寝た。

深夜2時頃。尿意があってトイレに向かった。彼女を起こさないようにスマホのライトで照らし、音を立てず移動した。流石に流す音はしてしまうが、彼女は起きてこなかった。

また横になったとき、酔いも覚めていて、少し寝付くのに時間がかかりそうだった。なぜか頭の中で、思い出したことがあった。

そういえば、最近、隣の部屋の人と挨拶をしたことがあるけど、女性だった。まあ、その時は女性だけだったけど、男性が同居していたり、本当にホラー系のテレビを見ていただけかもしれないしな。

そう考えているうちに眠りについていた。

翌朝、彼女と昼前までゆったり過ごし、彼女は夜に用事があるからと帰っていった。初めての家デートは上手くいったと思う。

彼女が帰ってすぐ電話がかかってきた。アパートの管理会社からだった。

「来月からアパートの隣の棟を壊すのに、駐車場が使えなくなります。かわりに…」

と工事の期間は別の駐車場を利用してほしいという案内だった。隣の棟は壊すのか、リフォームしてあるとはいえ、築年数はそこそこだからな。

翌日、彼女からの電話。

「提案があるんだけど、私が住んでいるアパートで同棲してほしいんだけど、どう?」

「え、嬉しいけど、まだ付き合って間もないし、もう少し経ってから、焦らなくてもいいかなとは思うけど。」と伝えると

「すぐの方がいいと思う。言うか迷ったんだけどね…」

彼女はそう切り出すと、あの日の夜のことを話しだした。

あの夜。目が覚めるとベッドの上にいて、自分がお姫様だっこで運んでくれたのを憶えている。頑張れば起きて歩けたけど、甘えてしまった。

トイレに行こうと思って、立ち上がろうとしたときに、また壁から声がしたという。前より鮮明に「…あと一人…あと一人」と聞こえたという。

そこでガチャとドアを開ける音がして、それは自分がトイレに静かに向かっているのだと気づいていた。でも自分が部屋に戻ったあとに、それを追うように黒い影がゆっくりリビングに向かって歩いていったという。

これを聞いて色々なことを考えた。彼女のドッキリか同棲したいがための嘘か、でもそんなことをするような人ではない。精神的にまいっている。あるいは精神的な病気を抱えている。

自分は幽霊などは信じない、科学寄りの人間だと思っている。色々な考察をしてみたが、答えは出なかった。とりあえず彼女の申し出は受けることにした。翌日から簡易に荷物を運んで同棲を始めた。家具や家電をどうするか、電気などの解約もあって、完全な転居には時間がかかる。

そんなある日の仕事中、何度かアパートの管理会社から連絡が入っていた。仕事が終わって、もう時間外で繋がらないと思いながらも折り返すと、

「◯さんですか。よかった。その様子だとご存知ないかもしれませんが、実は今日の朝に…」

管理会社の人は、捜査の関係上言えないこともあるとしながらも、自分が住んでいるアパートで殺人があったとして、ホテルなどに泊まってほしいという連絡だった。

ふと頭に過ぎったのは隣の部屋である。

暫くして会社近くのビジネスホテルにチェックインしたあと、管理会社に連絡して時間がかかるようなら通帳など部屋から取り出したいと伝えた。管理会社の人は戸惑いながらも承諾してくれたため、取りに行った。

案の定、隣の部屋はブルーシートで隠されており、捜査車両が駐車場に複数台あった。現場には管理会社の人もいて、警察官が同行の上、部屋にある荷物を取らせてもらえることになった。

鍵を開けて部屋に入ると違和感が漂っていた。入口すぐに「ん?」と声を発すると、すぐに警察官が「どうかしましたか?」と聞いてきた。自分はその時の違和感をそのまま伝えた。

リビングに繋がる扉は毎日閉める。今日も閉めたはず。建て付けなどで勝手に開いてくることもあるかもしれないが…と考察してみるも、寝室への扉も開いている。

警察官は、手で遮るように自分の前に出て、後ろに下がるよう合図した。ゆっくり後退して、警察官は応援を呼んだ。人がいないか確認しますので、少し待っていてください。と言い残し、数名で部屋に入っていった。凄まじい緊張感だった。

数分後、大丈夫みたいです。ただ、他に変わっているところがないか見てもらいたいので、ついてきてください。と、様子が変わった。

結局、それ以外の変化は見当たらず、必要なものは取らせてもらえた。まさかと思い「僕って疑われていますか?」と聞くと、刑事さんがきて、

「実は貴方のことも最初は疑っていました。会社に連絡して、警察官を向かわせていて、防犯カメラの映像や社員証やPCのデータをもらっています。貴方が勤務している姿も確認できたので、荷物を取ることを承諾しました。ただ、貴方の部屋も侵入がなかったか調べさせてもらいます。よろしいですか。」

捜査に協力するとこと、念のため転居を考えていることを伝えた。同時にまだ犯人は捕まっていないのかと恐怖を覚えた。隣の部屋に住んでいるだけで、ここまで調べられるのかという違和感もあった。

それから3日ほどビジネスホテルで生活をしたが、いつまでかかるか分からないこともあって、恋人に相談し予定より早くなったが同棲をスタートした。

管理会社には無理を言って、引っ越しすることを伝え、捜査期間の家賃は払わなくてもいいようにしてもらった。また1週間ほど経ったあと、警察から連絡があり、警察署で話を聞くことになった。

「◯さんご協力ありがとうございます。刑事課のAといいます。犯人が逮捕され、事件の詳細が見えてきましたので、概要をお伝えさせていただきます。本来は隣人といえど伝えない内容ではありますが、お聞きしたこともありまして、」

「まず、アパートで起こったことですが、隣の部屋に住んでいた男性が殺害されました。殺害されたあと暫く時間が経っていて、男性と交際していた方が部屋を訪れた際に、遺体を発見しました。」

「犯人は別棟の1階に住む男性で、このアパートの所有者です。動機は賃貸経営という形で幾つか不動産を抱えていて、管理は管理会社に委託していたようですが、ギャンブルによって老朽化したアパートの管理費用が枯渇し、僅かに残る住居者を排除して、アパート経営を辞めようとしていたようです。」

「え…ということは…自分も狙われていた可能性があるということですか?」

「言いづらいですが、そのように思います。全ての部屋が開けられるマスターキーを隠し持っていて、あのアパートに残っていたのは被害者と◯さんだけでした。」

そういえば、広い駐車場に駐まっていたのは自分の車を含めて3台のみ。たまに業者の車を見かけるくらいだった。前に見かけた女性は殺害された隣人の恋人だったということだろう。

ここで更に思い出したことがあった。あの日、壁の向こうから聞こえた「あと一人…あと一人…」という不気味な声、通帳を取りに警察官と部屋に入った時に扉が開いていたこと、これを刑事さんに話した。

「あの後、◯さんの部屋で足跡と指紋をとって、犯人のものと照合したところ合致しました。即ち◯さんを殺害するために侵入したと推測できます。」

現実味のある恐怖を実感し、心のなかで彼女に感謝した。究極の事故物件。あれから3年。今もなお無人のアパートは不気味に佇んでいる。