宗教二世と愛着【学校臨床】

はじめに

安倍元総理大臣が銃殺された事件で、統一教会を始め宗教二世における問題が注目されるようになった。学校現場においては、外国籍の児童生徒が増えているという背景もあって宗教活動に参加している児童生徒を認知するようになった。

例えば、教育活動中に宗教の集会があるという理由で早退していったり信仰に伴い食事や活動に配慮が必要な児童生徒がいる。一昔前は、差別や偏見が強かったが、近年では多様性を大切にするという考えが一般的となり大きな問題は見られなくなった。

しかしながら、未だに虐めや不登校は増えていて、少なからず宗教二世はこれの要因にもなっている。また、問題行動や精神的不調にも関わる。そこで教育現場で勤務する公認心理師の視点として宗教二世の愛着の問題を取り上げたい。

宗教二世と愛着障害

宗教といっても様々なものがある。世界規模の大きなもの、それぞれ派生して誕生した宗派がある。例えば、キリスト教の派生として日本でも信仰者が多いエホバの証人という団体がある。

エホバの証人は、その昔、躾と称して木の棒(ムチ)で子どもを叩いていた。しかし、体罰や虐待を根絶しようという世論を受けて、この習慣も無くなっていったものと感じとれる。

とはいえ、大元の教えから外れた形で独自の宗教心を持つ団体もある。その一部には、未だに体罰や虐待を続けているところもある。

宗教二世の子たちは、幼い頃は親の教えに忠実に従う。時に泣かされ叩かれても親に対して無条件の愛情を求め続ける。児童期には、親と一緒に宗教活動に参加することが習慣になっている。

協会に足を運び祈りを捧げたり、住宅を回り新しい信仰者を募ったりもする。彼らは生まれながらにして信仰者なのである。

一方で、彼らは学校教育の中では少数派である。日本人の多くは宗教に関心がない。冠婚葬祭こそ仏教の習わしに準じているが、信仰心があるかといわれるとそうではない。

彼らは、周囲の家庭環境を知ることで自身とのギャップを感じるようになる。自分の家庭は変わっている。普通ではない。そう認識するのだ。

ここで注意するべきは、宗教が全て悪ではないということだ。信仰はあくまで生活の軸になるもので、無宗教の人でも考え方の癖がある。それは日本という社会によって長年かけて構築されていったものである。

当たり前と思っていることは、海外ではそうでなかったりする。時代が変われば、人の在り方も変わっていく。宗教もこれらと何ら変わらない。

では、何が悪いのか。それは専ら親が子を支配しようとすることだ。子を一人の人間として捉える。誰しも生まれながらにして基本的人権を持ち、公共の福祉において人権を侵されることは許されない。

問題となっている宗教二世は、この人権を侵害されたことに反発しているのである。身体的虐待だけでなく、本人が望んでいない宗教活動を強要したり、宗教に反する者を悪魔として扱ったり、ましてや友達を悪魔と呼び交流を遮断したりすれば、それは人権侵害で心理的虐待といえる。

宗教二世の生徒は大人になるにつれ、信仰の必要性を自己判断するようになる。例えば、決まった時期に断食をする宗教がある。宗教の大部分を信仰し自身の生活の軸にしながらも、スポーツに打ち込むにあたり断食はしないと決める。

このように教えに共感し信仰心を示しながらも、自身の生活によって取捨選択をするケースもある。親は子を何よりも大切に思い、これを受け入れている。

このように「全て・絶対に」や「べき・すべき」精神を持たず柔軟に思考できる人もいる。一方で、信仰心の強すぎる者は、宗教にとらわれており、宗教に背く行為を悪と考えるようになる。

これまでの学校教育では、信仰の自由を認めるという指針が出され柔軟に対応してきた。しかしながら、心理的虐待に値するような事実を認知しても「宗教上の考えだから…」と容易に口が出せずにいた。

しかし、2022年、安倍元総理大臣の銃撃事件を受けて、宗教二世で苦しんできた人たちが声を上げ、献金による貧困や虐待について注目されるようになった。

これを受けて、文部科学省は学校教育機関に向けて、宗教二世の虐待事案に対して早急な対応を求める案内を告示した。身体的虐待だけでなく心理的虐待についても大きく取り上げている。

以下、心理的虐待にあたる行為

□本人の意に反して宗教活動を強要する。□躾と称して叩く怒鳴る。□無視する。□衣食住を与えない。□病院に行かせない。□部屋に閉じ込める。□連絡手段を遮断する。□友達や兄弟姉妹との会話・交流を遮断する。□子のお金を不当に管理・使用する。など。

要するに、どれも人権を侵害する行為である。宗教が理由であったとしても人権を侵害してはならないということに他ならない。

学校としては、上記のような人権侵害を認めた場合、児童相談所に通告する義務が発生する。保健室利用が多い、不登校、問題行動、自傷行為などがある子は愛着に問題を抱えた子が多い。宗教による虐待も大いに関連する。

無条件な愛情を求める子。親は宗教を信仰する子を愛す。これは条件つきの愛情である。問題行動から心理的虐待が明らかになるケースもある。

ある宗教において禁忌とされる行為、日本においても違法な行為を繰り返す生徒、話を聞くと「親に愛されたい。認められたい」としながらも見向きもされない。つまり、親への反抗心で禁忌を繰り返していたのだ。

度重なる親への面談で、生徒の過去・信仰の自由を許してあげることを前提に支援を実施した。親も心の奥には子を大切にしたいという思いがあり、それを引き出せたため改善に至ったというケースがある。

この場合、本来あるはずの愛着発達は遅れを生じている。幼少期の忘れ物を取り戻そうとする如く退行が起こり親にべったりすることもある。親がこれを受け入れて愛情を注いであげることで、改善していく。

一方で、親が全くの関心を示さない場合、行き場のない愛着が制御できなくなっていく。

例えば、境界性パーソナリティ障害がある。愛されるための過度な努力、異性に優しくされたら急激に距離を縮める、見捨てられ不安、感情が爆発しやすい、これまでの関係性を100としたとき、1でも容認できないことが起こると"こき下ろし"が起こるなど、人間関係の構築に困難が生じる。

本人は、愛されるために必死なわけだが、周りはそれを理解できず巻き込まれる形で落ちていく。また、境界性パーソナリティ障害は自己破壊行動を併発することが多い。

リストカットなどの自傷行為、飲酒や喫煙、ピアス、根性焼き、非行、売春などのリスクが高いのだ。中には、悪い大人に利用されてしまう子もいる。不特定多数を相手に性行為をさせられたり薬物漬けにされてしまいボロボロの状態になる。

ここまでの状態になると、少年院での矯正教育など特殊な対応が必要になってくる。加えて、愛着の問題は連鎖しやすいということも知っておいてほしい。

愛情を知らずに大人になった人たちは、親になった時に子に対して愛情の注ぎ方が分からず苦悩する。最悪の場合、虐待に至る。

また、安易な性行為を繰り返す女性は、望まない妊娠をして中絶を経験したり、相手が誰か分からないまま出産に至ることや育てる覚悟・能力がなく赤ん坊を死なせてしまうこともある。

このような悲しい連鎖は断絶していきたい。困っているのは今このときの子どもである。

連鎖の話をしたが、逆に親への支援も必要であることに気づいたことだろう。親も困っている。愛され方と愛し方を経験してきていない。あるいは、歪んだ・偏った愛情しか知らない親もいる。

学校は、保護者として関わるのだが、困っている親があれば親に対してもカウンセリングをすすめることもできる。子のために保護者とも協力する必要がある。

愛着の問題は、子だけにアプローチしても上手くいかないことが多い。その場合は、親へのアプローチも積極的に行うとよい。