【1話】遭遇【小説:優しくなりたい君たちへ】

土谷誠(つちや まこと)。24歳独身。大学院生。この冬、人生の岐路に立っていた。

『明日、宅飲みするから来いよ。22時、いつものお土産よろしく!』

週末に送られてくる親友からのLINEを見返していた。僕を心配してくれる唯一の存在かもしれない。初めは愚痴をこぼしながら、酔いつぶれ、そのまま朝を迎えていた。

しばらくして、こぼせる愚痴も尽き、最近は誘いを断っていた。勿論、断る理由は特にない。

今週は会おうと思っていた。親友に安心してもらうために、明るく振る舞う必要がある。

親友のアパートに向かう途中に、美味いピザ屋がある。チェーン店だが、親友は飽きずに好んで食べている。僕も好きだった。何より店頭で買って持ち帰ると、格安になる。

踏切の手前、遮断機が降りようとしていた。立ち止まったとき、僕の横を通り過ぎ、歩みを止めない女性がいた。

「…!」

気がつけば、女性の腕を掴み、引っ張っていた。女性はバランスを崩し、僕のほうへ倒れてくる。僕も受けきれず、二人で地面に座り込んだ。

数秒の放心状態、電車が轟音とともに過ぎ去っていった。心臓がえげつない心拍を打っている。

「……何してるんですか!」

女性の肩を持ち、顔を覗き込み、気持ちに訴えようとした。しかし、その顔を見て、我に返った。

おそらく学生、涙が流れた痕があった。生かされたことに驚く様子もなく、瞑られる間に見えたその眼は色を失っていた。

「ーーー立てますか?」

優しく言ったつもりだったが、立とうとする気力はないようだった。

寒い夜の住宅街、人はいない。『こういうときは、警察だよな』と自らの落ち着きに関心しながらもスマホを取り出そうとした。

「いや……」

小さな声だったが、女性の深刻さが伝わってきた。死のうとしたんだ。何かあったのだろう。女性は、少し取り乱したものの、また一点を見つめ、感情が失われた。

「じゃあ、家族に連絡するから電話を」

女性は、無言で小さく首を振った。

「ーーー家まで送るよ。家には誰かいる?」

「………」また同じ反応だった。

さすがに一人にはできないと思い、「友達は?」と聞いても首を振るだけ。薄着で震えているしで……

「僕のアパートに来る?」

これしか思いつかなかった。反応は首を振らなかったが、頷きもしなかった。でも、とりあえず保護という形で、明日、何かしらの手を打とうと考えた。

「おんぶするから」

としゃがむと、女性はしばらく立ち尽くしていたが、「ほら」と促すと、次は抵抗なく、しがみついてきた。女性を背負ったのは初めてだったが、それでも軽すぎると感じた。時折、小さな声で何か言っているようだったが、この距離でも聞こえなかった。

歩いてすぐ、一部屋の普通のアパート。

「降ろすよ」

ドアの前で背中から降ろすと、女性は落ち着いてきたのか、そのまま立っていた。鍵を開け、部屋の明かりをつけたところで、ようやく全身をみることができた。

手入れしていないボサボサの髪、涙で汚れ腫れた顔、季節感のない服装、終わらせるために外に出たんだろう。

「ーーーシャワーだね。こっちきて。」

「服は脱いだら洗濯機に入れて。着替えは……僕のスウェットで我慢して。タオルも置いとくから。じゃあ、僕はこっちに居るから。」

無反応だった気もしたが、しばらくするとシャワーの音が聞こえてきた。「この間にするべきことは……」、包丁、ハサミ、カッター、シャーペンなど目に付く危険なものを全てシーツで覆い、とりあえずゴミ箱の底に隠した。

着替えとタオルを置いて、次は……部屋の鍵と財布と通帳を小物入れに隠した。念には念を。女性が危険を起こす可能性と、新手の手法による泥棒である可能性を考えた結果だった。

僕はスマホで調べながら対応を考えた。警察?児童相談所?病院? 少し落ち着いたようだし、説得して、警察に連絡をしよう。

シャワーの音が止み、ダボダボのスウェットを着た女性が俯きながら歩いてきた。

「あ、ごめん。ドライヤーね。あと、お腹減ってるよね?」

相変わらず反応はないが、抵抗する様子はなかった。その後、形の崩れたピザを温めて、二人で食べた。お腹が空いていたらしく、食べている間は、少し幸せそうな顔をしていた。ピザって凄いんだな。

「新しい歯ブラシあるから使って。」

女性に歯磨きをさせて、ベッドに寝かせた。

「僕はコタツで寝るから、気にしないで。よくコタツで寝ちゃうんだよ。」

シーツは洗ったばっかだから大丈夫だよな。部屋は綺麗にしている方だけど、女性を部屋に入れるのは初めてだった。いやいや、あくまで保護だから。

「あの、本題なんですけど、明日、ご家族に連絡をとって、迎えに来てもらうとかできますか?」

またしても反応がなかった。その後も住所を聞いたりもしたが、反応はなく、壁のほうを向いたままだった。

「理由とかは聞かないけど、身元が分からないと、僕も困るから明日、警察に連絡するけどいい?」

とにかく、今晩だけを乗り越えようと決め、照明を消し、僕も横になった。

ただ、女性より早く寝るわけにもいかず、警戒しながらスマホで情報を集めていた。「女性 新手 詐欺」

寝てしまったらしい。スマホはLINEの通知で光っている。そうか、宅飲みする予定だったんだ。

ガチャという音が聞こえて、眠気眼で目を向けると、女性はアパートを出ようとしていた。

「ちょ、ちょっと!」

羽交い締めする形で女性を制止して、部屋の中に引き戻す。

「………離して」

「離せるわけないでしょう!どこ行くつもりですか!」

「………お母さん」

「え、お母さん?」

意味はわからなかったが、同時に女性は力が抜けていき、抵抗しなくなった。そのままぎこちなく歩き、ベッドに座らせた。

「何があったかわからないけど、僕と出会ったわけで、死なれたら困る。」

少し感情的な言葉だったかと思う。

「1人になっちゃった………」

女性は静かに泣き始めた。

最初は、恋人に振られたのかと思ったが、さっきの一言を思い出し、それ以上の理由であることを悟った。

「お母さんはどうしちゃったの?」

返事はなかったが、おおよその検討はついた。

「そうか……どう生きていけばいいか分からないよね。」

「でもさ、きみのお母さんは、そんなこと求めてないんじゃないだろうか。」

自分なりに説得をした。つもりだった。

彼女は呼吸を落ち着かせたあと、自分のことをさも他人事のように話し始めた。

「幼いとき、父親が不倫相手とともに消えました。残された母親は夜の店で働きながら、父親は仕事でいなくなったと娘に嘘をついていました。」

「1年経っても戻らない父親、娘は母親にお父さんいつ帰ってくるんだろうねと何度も確認しました。ある日、母親は泣いていました。娘は母親の頭を撫でて、泣かないでと声をかけました。」

「娘は毎日、寂しい思いをしました。小学校から帰ると、お母さんは寝ています。お母さんを起こすと、お母さんは食事の準備をして、綺麗にお化粧をして、仕事に出掛けます。」

「私は綺麗なお母さんが自慢でした。でも、一緒にご飯を食べて、お話を聞いてほしかった。」

「中学生になって、もう状況が何もかもわかって、心が限界で、学校の先生に泣きついて、何度も死にたいと思いました。でも、家では笑いました。」

「お母さんが体調を崩して、仕事を休んでいたとき、私は学校に行かなくなりました。お母さんがいなくなる恐怖にかられて、ずっとお母さんの側にいました。」

「お母さんは、学校に行きなさい、勉強しなさい、と言いますが、今までできなかった話をしたりお母さんの若いときの話を聞いたりして、凄く嬉しかったです。」

「お母さんが仕事に復帰してからは、学校に行き、高校は通信制高校に入学しました。お母さんの働いているお店でアルバイトをしながら、必死に勉強しました。」

「家庭環境のこともあり、返済不要の奨学金をもらえたので、大学に通えました。安いアパートで初めてお母さんと離れて暮らすようになりました。それでも毎日のように電話してました。」

「先週から連絡がつかなくなって、お店に電話をしたら、家で寝たまま……」

僕はただ聞いていることしかできなかった。それからしばらく、僕も彼女も無言で涙を流していた。

小説

Posted by Cozy